今年もお世話になりました。。。
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...2006/12/30 10:51...
31〜新年7日まで仕事は休みです。。。
皆さんにとって今年はどんな年でしたか?
色んなことがあったでしょう。。。
太陽が皆を平等に照らしてくれるように
新年が皆さんにとって良き年となりますように願っております。。。
今年も一年間、ありがとうございました。。。
新年もよろしくお願いします。。。
だっはっは
大将
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こんな物語も。。。
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...2006/12/29 16:29...
ネパールのビール 吉田直哉(よしだ なおや) 四年も前の事だから、正確には「ちかごろ」ではないのだが、私にとっては昨日の出来事よりずっと鮮明な話なのである。 昭和六十年の夏、私は撮影の為にヒマラヤの麓、ネパールのドラカという村に十日あまり滞在していた。海抜千五百メートルの斜面に家々が散在して、はりつくように広がっている村で、電気、水道、ガスといった、いわゆる現代のライフ・ラインはいっさい来ていない。 四千五百の人口があるのに、自動車はもちろん、車輪のある装置で他の集落と往来できる道が無いのだ。しかも、二本の足で歩くしかない凸凹の山道を、いたるところで谷川のような急流が寸断している。そこにさしかかったら岩から岩へ、命がけで跳ばなければならないのだ。 手押し車も使えないから、村人たちは体力の限界まで荷を背負って、その一本の道を歩む。だから、茂みが動いているのかと驚いてよく見ると、下で小さな足が動いていたりするのだ。燃料にするトウモロコシの葉の山を、幼い子供が運んでいくのである。
むかし日本でも、村の共有地である入会山で芝を刈るときは、馬車で持って帰ることなど、禁じられていた。自分の体で背負えるだけしか刈ってはいけない。自分が背負える分量だけ刈るのなら、お天道様に許される。という思想があったのである。 時代は違うが、車を転がせる道が無いおかげで、ドラカ村の人々は結果的に環境保護にもかない、お天道様にも許される生活をしているわけだ。しかし、昔のことは知らず今村人たちは、自動車の通れる道路を含むいっさいのライフ・ラインに恵まれていない自分たちの生活が、世界の水準より下だと熟知している。だから、旅行者の眼には桃源郷のように見える美しい景色のなかで、かなり辛い思いで暮らしているのだ。 とりわけ若者たち、子供たちには、村を出て電気や自動車のある町へ行きたいという願望が強い。それも無理ではないのであって、私たちにしても、車が使えないここでの撮影は毎瞬が重装備の登山なのだ。車で来られる最終地点から村までは、十五人もポーターを雇って機材や食料を運んだのだが、余分なものを一切割愛せざるを得なかった。 まっさきに諦めたのがビールなのである。なにより、重い。アルコールとしてなら、ウイスキーの方が効率的だ。それを六本、一人一本半ぶんずつ持てば、四人で十日間なんとかなるはずだ、という計算で諦めた。 しかし、ウイスキーとビールとでは、その役割が違うのである。 大汗をかいて一日の撮影が終わったとき、眼の前に清冽な小川が流れているので思わず言った。 「ああ、これでビール冷やして飲んだら、うまいだろうなあ」と。 スタッフ全員で協議した末に諦めたビールの事を、いまさら言うのはルール違反である。 しかし、私が口にしたその禁句を聞きとがめたのは、私の同僚ではなくて、村の少年チェトリ君であった。 「いま、この人は何と言ったのか」 と、通訳に聞き、意味がわかると眼を輝かして言った。 「ビールが欲しいのなら、僕が買ってきてあげる」 「・・・・・どこへ行って?」 「チャリコット」
―――チャリコットは、私たちが車を捨ててポーターを雇った峠の拠点である。トラックの来る最終地点なので、むろんビールはある。峠の茶屋の棚に何本かビンが並んでいるのを、来る時に眼の隅でみた。
でも、チャリコットまでは大人の脚でも一時間半はかかるのである。 「遠いじゃないか」 「だいじょうぶ。真っ暗にならないうちに帰ってくる」 ものすごい勢いで請けあうので、サブザックとお金を渡して頼んだ。 じゃ、大変だけど、できたら四本買ってきてくれ、と。 張り切って飛び出していったチェトリ君は、八時ごろ五本のビールを背負って帰ってきた。 私たちの拍手に迎えられて。 ――次の日の昼過ぎ、撮影現場の見物にやってきたチェトリ君が「今日はビールは要らないのか?」と聞く。 前夜のあの冷えたビールの味がよみがえる。 「要らない事はないけど、大変じゃないか」 「だいじょうぶ。今日は土曜でもう学校はないし、明日は休みだし、イスタルをたくさん買ってきてあげる」 STARというラベルのネパールのビールを、現地の人々は「イスタル」と発音する。 嬉しくなって、昨日より大きなザックと一ダース分以上ビールが買えるお金を渡した。 チェトリ君は、昨日以上に張り切って飛び出していった。
ところが夜になっても帰ってこないのである。 夜中近くになっても音沙汰ない。 事故ではないだろうか、と村人に相談すると、「そんな大金をあずけたのなら、逃げたのだ」と口を揃えて言うのである。それだけの金があったら、親のところへ帰ってから首都のカトマンズへだって行ける。きっとそうしたのだ、と。 十五歳になるチェトリ君は、一つ山を越えたところにあるもっと小さな村からこの村へ来て、下宿して学校に通っている。土間の上にムシロ敷きのベッドを置いただけの、彼の下宿を撮影し話を聞いたので、事情はよく知っているのだ。 その土間で朝晩チェトリは、ダミアとジラという香辛料をトウガラシと混ぜて、石の間に挟んですり、野菜と一緒に煮て一種のカレーにしたものを、飯にかけて食べながらよく勉強している。暗い土間なので、昼も小さな石油ランプをつけてベッドの上に腹ばいになって勉強している。 そのチェトリが帰ってこないのである。あくる日も帰ってこない。その翌日の月曜日になっても帰ってこない。学校へ行って先生に事情を説明し、謝り、対策を相談したら、先生までが「心配することはない。事故なんかじゃない。それだけの金を持ったのだから、逃げたのだろう」と言うのである。 ――歯ぎしりするほど後悔した。 ついうっかり日本の感覚で、ネパールの子供にとっては信じられない大金を渡してしまった。そして、あんないい子の一生を狂わした。 でも、やはり事故ではなかろうかと思う。しかし、そうだったら、最悪なのである。 居ても立ってもいられない気持ちで過ごした。三日目の深夜、宿舎の戸が烈しくノックされた。 すわ、最悪の凶報か、と戸をあけるとそこにチェトリが立っていたのである。 泥まみれでヨレヨレの格好であった。三本しかチャリコットにビールが無かったので、山を四つも越した別の峠まで行ったという。 合計十本買ったのだけど、転んで三本割ってしまった。と、べそをかきながらその破片を全部出して見せ、そして釣銭を出した。 彼の肩を抱いて、私は泣いた。 近ごろあんなに泣いたことはない。 そしてあんなに深く、いろいろ反省したこともない。
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満月
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...2006/12/08 23:50...
忙しかった一日の仕事が終わる。。。
冬である今は日の暮れるのが早い。。。
気がつくと闇に包まれている。。。
片付けも終わり
帰りの車へと向かう。。。
その時ふと、辺りの明るさに気づく
空を見上げるとそこには月があった。。。
それも満月。。。
月は結構明るいもので
周りの景色がよく見える。。。
それだけ明るい月に照らされていた。。。

冬
銀世界の闇の中
月の光に照らされると
とても幻想的な世界へと導いてくれる
そんなチカラが月にはある。。。
その世界を写真に残そうと思っても
未熟な腕の俺には難しい・・・
なのでいつも、寒い中その場に佇み
自分の目で、その世界を楽しむ。。。
そんな世界
今年も、もう少し・・・

満月を眺めながら
君は何を想う?
いろんな出来事を想うのだろうか
それとも、誰かを想うのだろうか
俺は・・・
秘密だ。。。
だはは
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